名古屋城

尾張名古屋は城でもつ
徳川家康が諸国大名を集めて築いた天下平定の象徴

金鯱きんのしゃちほこ

1612年(慶長17年)、名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は、一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3kg(現代の金レートでおよそ10億円、当時の貨幣価値で約50億円前後)もの金が使用されたといわれています。

屋根に載せた財宝・金鯱は江戸時代に三度、藩の財政が悪化する度に鯱の鱗がはがされ、改鋳されました。その度に金の純度は下がり、最後には鈍った光沢をごまかすため、戦災により焼失するまで金鯱の周りに金網を張ってカモフラージュされていました。

1871年(明治4年)に政府に献納され、雄鯱は国内の博覧会を、雌鯱は1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会にも出品されました。

金鯱が大天守に戻ったのは1879年(明治12年)2月。
1945年(昭和20年)の名古屋大空襲でお城とともに焼失。

現在の金鯱は復元されたもので、復興天守建造のときに復元製造、一対に使用された金の重量は88kg(現代の金レートで4,000万前後)だそうです。

焼失した金鯱の残骸は、名古屋市旗の冠頭と、金茶釜に加工され保存されています。

城内にはいくつかレプリカが展示されていますが、天守閣5階には「またがって写真撮影」のできる金鯱もあります。

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画像・文章は名古屋城公式ウェブサイトより引用 ©名古屋市市民経済局文化観光部名古屋城総合事務所